厄除開運・八方除の妙見様の御本宮

千葉神社

妙見本宮千葉神社

神事

神事

シキタリ

鳥居と鳳凰について

お祭りの中には古くから伝わるシキタリがいくつか現在も残っています。その中でも、他のお社と明らかに異なる当社創建の由緒に由来したシキタリがあります。

元々現在神社がある土地の一帯は、香取山(かんどりやま)と呼ばれる香取神社(現・和田医院裏)の境内地でした。その香取山の敷地内に、のちに近隣一帯を支配するようになった千葉氏が、一族の守護神である妙見様の御分霊をお祀りするようになったのが当社の始まりです。

ゆえに、例大祭のお神輿においても、元来の土地の守り神である香取神社への敬意を表して二つのシキタリが今も残っています。
一つは「境内に出入りする時、お神輿は鳥居をくぐって出入りしないこと」。
一般的にお神輿は鳥居をくぐって境内の外へと渡御していきます。しかし当社では「鳥居(=正面玄関)を避けて脇門(=裏口)から出入りする」というシキタリによって、土地の主人であった香取様に遠慮・敬意を表しているのです。

二つ目は「元の香取神社の敷地の中では鳳凰をつけず、正式にご挨拶を終えた敷地の外でのみつけること」。
お神輿の上にある鳳凰(ほうおう)は通称孔雀(くじゃく)とも呼ばれ、一般的なお神輿であれば渡御の道中で取り外したりはしません。しかし当社では、土地の主人であった香取様に対してご挨拶する時までは、飾り帽子にあたる鳳凰は外しています。
16日宮出しの日に神社を出たら、まず香取神社前にて「奉幣行事」という正式なご挨拶を行い、やっと鳳凰をつけて町内へと出ていきます。22日宮入りの日、町内を巡って香取神社前まで戻ってきたら、鳳凰を外してから「奉幣行事」を行い、そのあとで神社へと戻ってきます。

お神輿の独特な担ぎ方

江戸神輿の担ぎ方は、終始肩に担いで氏子区域を巡るのみに限られますが、千葉の担ぎ方には独特の特徴があります。
それは平時は肩に担いでいるところ、合図が鳴ると膝下地面スレスレでお神輿を二度もみ、三度目に両手で高く差し上げるのです。この担ぎ方を、合図が有る度に一日中繰り返す、という荒々しい担ぎ方です。

更に最終日の22日の夜にお神輿が境内に戻ってきてからは、肩に入れて担ぐことも許されなくなり、膝下でもむか・両手で高く差し上げるかの二通りのみとなり、担ぎ手には相当な体力が求められます。

太鼓について

当社のお祭りに欠かせないのが、お神輿の訪れを町内に知らせる大太鼓です。
太鼓の始まりの起源は年代不詳ですが、既に明治時代には「その真ん中を叩き破る事が名誉な事」だとされ、各町の力自慢が太鼓に列を成して叩く順番を待っていたほど人気のあるものでした。持ち寄られる太鼓のバチ(ブチとも呼ばれる。素材は椿などの堅い木)は、野球のバットより太く長いものです。

当時は「年番制」という、数年ごとに一部町会が当番となって太鼓の運営から修繕まで請け負う制度でした。よって太鼓年番の町会の人々は、できるだけ太鼓を破らせないように、太鼓につきっきりでその叩き方を注意していました。残念ながら、ワザとバチの角を尖らせる者や、ワザと破り易い太鼓のふちを狙う者などもおり、これを注意しての喧嘩も多かったとのこと。町会では万が一太鼓が破られることに備えて、太鼓の修理費用を事前に積み立てていたそうです。戦後以降は「連合制」に変更になり、太鼓が破られれば一部町会のみならず全町会の負担で太鼓を修理しています。

また太鼓の叩き方も「二段打ち」と呼ばれる最大4人で同時に叩く独特な叩き方をします。まず片面の二人が息を合わせて同時に「ドン、ドン」と二回打ち、その二人が休む間に反対面の二人がまた「ドン、ドン」と二回打ちます。これを打ち手の力が尽きるまで繰り返すと、遠くからは「だだん、だだん」と聞こえます。この太鼓の音からお祭りの呼び方も「だだんだだん→だらんだらん→だらだら」と変わってゆき、通称「だらだら祭り」と呼ばれるようになったと伝わっています。
(だらだらと長い距離・日程をお神輿が巡るから「だらだら祭り」と呼ぶ、という説は間違いです。)

手締めについて

お祭りの要所要所で行われる「手締め」にも、千葉の街の独特なリズムがあります。
先導役である総代や役員の掛け声に合わせ、
「よーーーっ、シャン・シャン・シャン、 シャ・シャ・シャン・シャン、 シャン」
と、3回・4回・1回に分けて柏手を叩き、これを三度繰り返します。
これは「三幅一対の千葉締め」と呼ばれる千葉独特のものです。

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